向田邦子さんに愛されたきっぱん。

-私の捜していた「きっぱん」は、どこの名店街にもなかった。
店員さんに聞いても「さあ」というだけである。
記憶違いか、とさびしく思っていたが、市場からの帰り、タクシーの窓から、「きっぱん」の文字をみつけた。
車をとめ、小ち”んまりした菓子屋の店先にとび込んだ。白い砂糖の衣がけである。同じだ。
-昔と同じである。沖縄土産を待つ12歳の女の子にもどっていた。きっぱんはわが沖縄胃袋旅行の最高のデザートとなった
とは向田邦子 さんの『女の人差し指』(文春文庫)の一節。

Unknown

向田邦子さんは小学校時代、父親の転勤で鹿児島に住んでいました。
お父様は保険会社の支店長で3カ月に一度沖縄に出張。日中戦争が本格化した頃で、民間飛行機はなく船旅。御土産はパパイヤはパイナップル、黒砂糖菓子などだったようです。
中でも向田邦子さんの大好物がきっぱん。
雑誌の企画で1981年、来沖することになり、昔を思い出し、旅のエッセーをそこから始めています。

その向田邦子さんのエッセー本を読んで、ご来店する団魂世代の男性のお客様が増えています。
『いや~地元の方に聞いてもお宅のきっぱん・冬瓜漬を知らない人がいるよ』
『以前私は沖縄に赴任していたのだが、こういうお菓子があるとは・・・気がつかなかった』などなど。
私は子供の頃から祖母が作るきっぱん・冬瓜漬の甘くほろ苦い匂いで育ってきました。
この琉球菓子を世代へ継ぐべく、しっかりとこの味を守り続け
多くの人に愛され続けてもらえたら幸いです。

妹の向田和子さんは
「幸せな家族のような甘さと南国の香り、
荒れた海を前にして父が無事に帰ってくることを待っているほろ苦さ。
きっぱんの味には向田家の青春が凝縮されていると、妹は感じていたのではないでしょうか」
とコメントされています。(朝日新聞 2003年10月17日掲載)